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習志野市定例記者会見で記者が叫んだ「本物はどこだ!?」
こんにちは、大久保インターネット商店街です。事の発端は、なんと「大久保タイムズ」だったのです!!
■ 習志野ベルリーナー
ならしのキラット2006
商工会議所ブース
「習志野街かど歴史館」 &
習志野ベルリーナーの試食
(200個 限定!)
今年3月、市内某所。
インターネットで入手した本場ベルリーナーのレシピを元に、製作を那智紀雄さん(カトランの息子さん)に依頼。習志野初の「ベルリーナー試食会」が行われました。
「甘い。甘すぎる」「油っぽい」・・・
「このまま作るのではなく、アレンジしてみれば?」
「油っぽさを抑えるには?」
「ドイツと言えば、ジャガイモとソーセージだろう」
「中身にジャガイモとソーセージを入れたら、習志野オリジナルになる」
「でも、やはり本場同様の甘い味も必要では?」
そんな活発(無責任)なやり取りが交わされ、「習志野ブランド研究会」がスタートしました。
習志野商工会議所が、習志野市の歴史文化をテーマとした地域ブランドの商品開発を手がける際、目をつけたのが「大久保タイムズ・第9号」の記事「ソーセージ製法伝来の地」でした。この記事の最後にある「習志野の収容所では「ベルリーナー」というお菓子がさかんに作られていたそうです。」という文章だったのです!
「大久保タイムズ・第9号」(新しいウィンドウで開きます)
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「○○餃子」のように「習志野ベルリーナー」が市内のあちこちのパン屋さんに並ぶと凄いよね。他の地域で、真似をされたらどうしよう?
「習志野俘虜収容所」の写真展示をして、習志野の歴史に触れるきっかけになったら嬉しいね。100年前の東習志野のこの場所にサッカー場があったんだよ、という話をしたら、習志野の歴史を知りたいな、と思ってくれるかな?
研究会のメンバーは、習志野ならではの歴史をからめた地域ブランドとして「習志野ベルリーナー」の改良とドイツ俘虜収容所の写真展示の手法を話し合ってきました。
写真展示はタイトルを「習志野にドイツがあった!・習志野街かど歴史館」として、習志野市教育委員会の星昌幸様の全面的な協力で実現することができました。
「習志野ベルリーナー」は、ビールにも合う「ジャガイモ&ソーセージ入り」と、スイーツ感覚の「ストロベリージャム&カスタード」の二種類を用意することになりました。
お披露目は「ならしのキラット2006」。
商工会議所ブースで、アンケートに答えた方に限定200個を試食してもらうことに決定。
7月22日の「船橋よみうり」に掲載され、一躍有名に。そして、28日の習志野市定例記者会見での発表となったのです。
これから、市内各地のイベントで「習志野街かど歴史館」と「習志野ベルリーナー」の販売を行うことを計画しています。
皆さん、赤・黄・黒で縁取りされた「習志野ベルリーナー」の看板を見たら、是非お立ち寄りください。
習志野ベルリーナーを食べながら、ドイツの音楽を聞いて、習志野の昔の写真を見る時間をちょっとだけ作ってみてくださいね。
@@カトランさんでは、習志野ベルリーナーの店頭販売を検討中。時期と価格が決まったら、みなさんにお知らせしますね(^_-)-☆ |
| ■ 習志野の風景
今年は、一体いつになったら梅雨明け宣言がされるのでしょうか。
前号のシャガの花を紹介しました藤崎小学校前の道路の土手の紫陽花(あじさい)です。習志野市の『市の花』です。学名をシーボルトは"Hydrangea Otakusa"とつけました。" Otakusa "(オタクサ)という名はシーボルトの日本人妻、楠本滝(お滝さんを長崎の方言でオタクサと呼びます)の名をつけました。シーボルト事件で彼が国外追放になったあと、母子の苦難は大変でしたが、娘(楠本いね)はその後、日本最初の西洋医学の女医となりました。(さしずめ日本のチャングムですネ)

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おっと、話が反れました、ここはアジサイが200mほど土手に植えられています。15年ほど前までは上流の船橋市や、藤崎地区等の宅地開発の影響で毎年、道路冠水、床下、床上浸水被害が頻発するようになりましたが、市には予算が無い。そのとき藤崎3丁目のご婦人
I .A さんが、当時衆議院議員の大物H議員に直訴され多額の国の予算が投入され、念願の洪水対策の下水道工事が可能になりました。土手は普通のコンクリート壁の予定でしたが、当時の市の下水道建設担当A氏K氏等の尽力で、今のような立派な景観になりました。紫陽花は選定の時期を間違えると翌年咲きませんが、小学校よりの50mほどは、毎年綺麗に咲きます、前にお住みのSさんが何時も手入れをされています、その恩返しでしょうか?
(撮影・文 江戸家ぎょうざ・坂井元昭)
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