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□□ ソーセージ製法伝来の地 □□
大正8年の青きドナウ
http://saxer.hoops.livedoor.com/index.html
@@日本食肉加工協会では、習志野を「ソーセージ発祥の地」としているのをご存知ですか?まさか、本当に?という方がほとんどだと思います。@@
今をさかのぼる事、86年前(大正4年、1915年)浅草本願寺を出発したドイツ兵の一行は早朝、津田沼駅に到着し、東習志野に出来た新しい収容所までドイツ軍軍歌を合唱しながら行進していきました。
時は、第一次世界大戦。日本軍は、ドイツ領だった南洋諸島の占領を始め、大正3年11月、中国・山東省の青島(チンタオ)ではドイツ軍は白旗を掲げたのです。その時のドイツ将兵が捕虜として日本に送られてきたのです。
習志野俘虜収容所でのドイツ兵の生活は、労役、労働、文化活動、スポーツ、と多岐に渡りました。また、鉄条網の中に閉じ込められていたのではなく、周辺住民との交流もあったようです。
そんな収容所の中ではどんな食事をしていたんでしょう。当時のメニューを見ると、驚くことに、純ドイツ料理が並び、バナナ・アイスクリームという記録もあったそうです。そして、ドイツといえば「ソーセージ」。収容所の中で、ドイツ兵がソーセージを製造していたそうです。
大正6年、栄養の向上に資する食品としてソーセージに注目していた農商務省は習志野収容所でドイツ兵がソーセージを製造している事を知り、早速習志野収容所を訪問したそうです。
当時の習志野収容所長は、西郷隆盛の子、西郷寅太郎大佐。「西南ノ役」で敗れた西郷家にあり、戦争の悲惨さと敗れた者の辛さは身をもって知っていたのでしょう。また彼は、ドイツの士官学校に留学した経験もあり、ドイツに深い理解があり、日頃からドイツ兵に温情を持って接していたようです。
ソーセージの製法を教えて欲しい、と頼んでも最初はマイスターの秘伝を公開することにはためらいがあったようです。しかし、普段から温情をかけてくれる西郷所長の説得とあれば、それに応えなくては、と考えたのではないでしょうか。
カール・ヤーンさん、ブッチングハウスさん、ヴァン・ホーテンさん、ケテルさん、そして氏名不詳の方の計五名により、ソーセージの技術が記録され、全国の食肉加工業者へと伝えられていったのです。
大正8年、ベルサイユ講和条約が発効し、ドイツ兵は再び自由の身となって祖国に帰る事になりました。しかし、そのまま日本に留まった人もいたのです。
大久保の紅谷商店さんでは、ドイツ兵にハム・ソーセージやマヨネーズ、石鹸の製法を教わったそうです。ブッチングハウスさんから習った茅ヶ崎の矢崎ハムさん。ヴァン・ホーテンさんは明治屋へ、と日本の歴史に残る方々が習志野収容所にいたのです。
@@習志野の収容所では「ベルリーナー」というお菓子がさかんに作られていたそうです。
習志野名物、ドイツ伝来「ベルリーナー」とか、ケテル直伝ドイツ式焼きソーセージなど・・・習志野のまち起こし、として復活させたら面白いと思いませんか?
どうか、興味を持った方、是非図書館に足を運んで資料を読んで下さい@@
引用文献
特別史料展「ドイツ兵士の見たNARASHINO 1915-1920 習志野俘虜収容所」
展示品図録
編集・発行 習志野市教育委員会 生涯学習部社会教育課
(大久保図書館 所蔵)
協力 習志野市教育委員会社会教育課文化係 星 昌幸様
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