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□□ 千本桜を植えた人たち □□

@@秋晴れの日、ハミングロードを歩いてみました。今から約50年前に、このハミングロードに
「千本桜」を植えて、大久保の新名所にしよう、と計画し実行してきた人たちがいる、という話を聞いたからです。@@ 現在は、ハミングロード、マラソン道路として親しまれている道路は、その昔「軽便鉄道」(旧陸軍鉄道第二連隊の演習軌道)が走っていた、という事をご存知の方は多いと思います。
軽便鉄道は、終戦と同時に役目がなくなり、放置されていたそうです。
昭和27年、ここに桜の並木道を造ろうと、思い立った人たちがいました。「ここに、桜並木があって、その下でみんなで花見ができたらいいなぁ、後世に残せるものを作りたいなぁ」そんな気持ちで動き出したそうです。今では、散歩道となったハミングロードですが、当時、大久保に住んでいる人にとっては、町役場への最短道路で今よりも重要な幹線だったのでしょうね。
「独立記念千本桜保存会」と表書きされた当時の趣意書には、「日本が米国の占領下から独立し、皇太子も立太子の挙式を行ったので、その佳き年を記念して桜樹を千本植え、ここを桜の名所にしたいので市民の皆さんのご協力をお願いします。」このような趣旨の事が書かれていたそうです。
会員は一株80円で、年会費を納めこの並木を管理するようにしたそうです。
この「千本桜保存会」の中心となった人は、「渡辺酒店」の渡辺さん。そして、駅前の石橋さん。
それから本大久保の椎名さん。三人が中心となって活動したそうですが、その他、沢山の人たちが「千本桜保存会」に協力していたそうです。
その当時、大久保小学校の6年生だった三橋さんは、「確か、高学年の生徒だったと思うんですが、二、三人で一本の苗木を持って植えに行ったのは覚えてますよ。皆で、線路づたいに植えたんですけど、道は今よりも狭かったですね。自分は大久保小から下った所から津田沼方向の所を担当したんですけど、数年後には、今では信じられないくらい桜並木がありましたね。」そう語ってくれました。
残念ながら、当時植えた桜は、数本しか残っていないそうです。でも、四十数年が過ぎ、ハミング
ロードの桜並木の下で「さくら祭り」を催すようになった大久保です。当時の方々が夢見た「桜並木の下でみんなで花見を」の願いは、次世代の市民がしっかりと引き継いでいますよね(^
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