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大久保タウン情報
今昔物語タイトル
出席者 G=横町のご隠居、A=主婦、B=経営者(女性)、C=経営者(男性)、K=きらこ
 今日は「大久保いまむかし」というテーマで皆さんにお話しを・・・。
 では昔の大久保のお話をご隠居さん。
軍隊御用達で繁盛
 終戦までは軍隊のあった街で、その御用達の商店が繁盛してましたね。
 そういう時代のお話しは是非聞きたいです
 この商店街は昔、バス通り(東金街道)から日大の前までが寿町・銀座通りって呼ばれていて賑やかだったんだよ。
 軍隊があったから写真館やら時計やが何軒もあって。
 カメラ、今のようにみんな持っていなかったから入隊、除隊のときに記念写真撮るので。
 駅に近い方は新町通りで、小料理やら食堂。
 この道を戦車が通るのを見たことがあるよ、子どもの頃。
 済生会習志野病院(国立習志野病院)から大学、警察のあるところ、その先までずーっと軍隊でしたからね。
 (写真参照:済生会病院前から警察署方面を写す)
写真左側が奥までずーーっと軍隊でした。
現在の写真

済生会病院前から警察署方面を写す


 東邦中学、高校の敷地内に軍人勅論ってのかな?、軍人の心得を書いた碑が残っているはずですよ。
 今、ダンス用品&シューズの店で人気の「アユザワ」さん、あそこは昔、軍人さんの革の長靴造っていたから、、靴底を打つときに使う鉄の台、脚の部分がすごく長いのが残っています。
 古いものっていえば渡辺商店の屋根の上の看板。
 あれは由緒ありそうですね。
 ええ、古いです。 写真参照
現在の写真

 ところで今、ここは学生さんのまちといっていいと思うんですが。
 ところがその学生さんたちが地元の商店を利用してくれないんですよ。
 ゲームセンターとかファーストフードとかチェーン店の居酒屋には行くけど・・・。
 努力不足という面もあるかもしれないけど、持ち主がここに居なくて店だけ貸しているとか売ってしまって全国的な規模のチェーン店になっているというケースもあるんですよ。
 だから足並みが揃わない。
 それは非常につらいことですね。
 あの浅草でさえ、浅草のおかみさん会の会長富永照子さんに言わせると「みんなここに住んで一生懸命やっていたけど、小金持ちになってしまって遠くに家を建てて住むようになってしまってからは早く家に帰りたいから早く店を閉めてしまう。 そして浅草はさびれてしまう」って。
 でも浅草は観音様という引力があるし「アサクサ」という世界に通用するブランドがあるから、なんとか生き延びている。
 大久保にはそういうブランドもないし。
なければ作ればいい
 なければないで幸い。
 なければ新しく作ればいいじゃないって私、いつも言っているんですけど。
 「ハミングさくらまつり」はそういう意味でも頑張って欲しい。
 あのまつりは地域をよくしようという市民の集まりが作り出したものですよ。
 大久保の活性化のネックになっているものに、踏切りがあると思うんですよ。
 実籾から津田沼まで地下に通すという考え方もあるそうですね。
 それに南側の駅前広場。
 他人に頼ってちゃダメですよ。
 まず自分が頭使って、汗かいて、血を流さなきゃ。
 そこが一番問題なんですよ。
 まあ、まあ、(とりなす)
 それでは、このあたりで・・・。
大久保の過去/現在の風景を見る
昭和6年津田沼役場作成大久保地区鳥瞰図(抜粋)
昭和11年津田沼役場作成津田沼東部鳥瞰図(大久保周辺)
昭和11年津田沼役場作成津田沼東部鳥瞰図(津田沼周辺)
習志野写真館(提供・久保木畳店
 この座談会の模様はタウン誌「KIRACO」に掲載されていた「行け行けKIRACO探検隊」の大久保商店街に関する箇所を抜粋し、独自に編集したものです。
 *KIRACO=有限会社KIRACO発行
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